風光礼讃による浮世絵「Evening Bell at Mii Temple — 三井寺晩鐘」

Tsuchiya Koitsu, 風光礼讃 (Tsuchiya Koitsu (土屋光逸))による浮世絵「Evening Bell at Mii Temple — 三井寺晩鐘」

作者:風光礼讃

作品名:Evening Bell at Mii Temple — 三井寺晩鐘

制作年:1940

詳細:詳細情報...

情報源:Japanese Art Open Database
浮世絵(全 17,130 件)を表示...

説明:

古来より風光明媚な地として知られる・・・ 名勝 近江八景の景観を・・・ 叙情性豊かに描き上げた・・・ 近代の絵師 土屋光逸の木版画です!!! 木版画 土屋光逸 『近江八景』より「三井寺晩鐘」 作者 : 土屋 光逸 [ Kouitsu Tsuchiya ] ( 日本 : 1870 - 1949年 ) 昭和15年 ( 1940年 ) サイズ : 大版( 40.0cm± * 26.7cm± ) コメント : 「松尾芭蕉に「七景は雲にかくれて三井の寺」の句がある。雲がはれれば実際に見ることができるか否かの詮索は野暮というもの、三井寺からの眺めがあまりにも優れていたことを詠んだものと受け取るべきだろう。ともあれ眺望抜群の三井寺の観音堂からは、比叡山、比良の山並み、膳所と草津を結ぶ近江大橋、湖水越しに草津の町、そして近江富士・三上山を見渡すことができ、現代の構築物を取り去れば今さお芭蕉の視点に立つことは可能である。三井寺は正式名は長等山園城寺。大友皇子によって父(天智天皇)の菩提を弔う一寺が営まれたのが起源だが、天智・天武・持統の三代の天皇が産湯に使ったといわれる井戸があったことから「三井寺」と呼ばれ、そちらの方が広く通用している。豊臣秀吉のころ衰退したが、慶長年間に豊臣秀頼いより復興され、桃山時代の建築と絵画・工芸の様子を今に伝えるものとして貴重である。境内には、岡倉天心とともに<日本画>創造の理論的指導者であったアーネスト・フェノロサの墓がある。」(茅ヶ崎市美術館『土屋光逸展図録』より抜粋) コンディション : 色目・状態とも大変に良好です。

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