歌川国貞: 「ふたらくおきち 岩井半四郎」 - 演劇博物館デジタル

絵師: 歌川国貞

作品名: 「ふたらくおきち 岩井半四郎」

日付: 1830

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情報源: 演劇博物館デジタル
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画題等:

池田文庫に「わり(もしくは「わく」?)の菊王<1>片岡市蔵」の1枚目、本図と同じ2枚目、「江戸太郎重長<3>坂東三津五郎」の3枚目と3枚続が揃ったものがある。池田文庫所蔵の3枚続から市蔵・半四郎・三津五郎の同座状況をもとに考えると、本図は文政13年11月市村座「源平戯場年代記」を描いたものと思われる。ただし、絵本番付で本図と似ている構図は三立目返しであるものの、市蔵以外の役名と配役(「けいせいつかのれい 紫若」「けさ太郎 三の助」)が異なる。なお、天保2年1月役者評判記『役者大福帳』の<3>坂東三津五郎評と<5>岩井半四郎評によると、両者が当時病気であり、そのために出演予定が変わった事がうかがえる。また役割番付に三津五郎の役名「江戸太郎重長」があるにも関わらず、絵本番付では「盛久」として二番目だけに登場している。これらの事から、「源平戯場年代記」は当初予定していた内容と実際に上演された内容が大きく異なっていた事が推測できる。ゆえに本図は菊王<1>片岡市蔵、ふたらくおきち<5>岩井半四郎、江戸太郎重長<3>坂東三津五郎のだんまりを予定していた頃の情報をもとにした予定稿かと思われる。 役割役名「女順礼ふだらくのお峰」。天保2年正月刊役者評判記『役者大福帳』には、「当顔見世は二ばんめ計にて路考丈の六部と順礼にて世界ばなし所へうしろのやふだゝみより秀佳丈大百日にて出三人だんまりの所(中略)当年三人にていたさるゝといふ評判なりしが杜若丈御病気ゆへいたされぬは残念/\」とあり、本図が描いたと思われる一番目三立目には出演しなかったことがわかる。

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