歌川国貞: 「里見修理之助 市村羽左衛門」 - 演劇博物館デジタル

絵師: 歌川国貞

作品名: 「里見修理之助 市村羽左衛門」

日付: 1836

詳細: 詳細情報...

情報源: 演劇博物館デジタル
浮世絵(全 46,279 件)を表示...

画題等:

江戸での八犬伝ものの上演は、天保7年4月森田座「八犬伝評判樓閣」、天保9年4月市村座「戌歳里見八熟梅」、文久3年正月森田座「波乗船音宝曽我」などがあるが、いずれも本図の役割と合致せず、個々の役割を調べても該当する上演は発見できない。本図について関連する資料として『歌舞伎年表』、及び評判記『役者早速☆』、殿村篠斎宛の馬琴の書簡がある。それらから、天保7年2月市村座は菊五郎・海老蔵が同座し、八犬伝ものの上演を企画して名題看板まで出したが、海老蔵が役不足に不満を感じ争いが生じたこと、さらに海老蔵は2月市村座には出勤せず、義理ある森田座へ移ったことなどから上演が取りやめになったことが確認できる。特に天保7年2月6日の馬琴の書簡には「国貞画のにしきゑ、毛乃ニ菊五郎女形の処、現八に海老蔵の二枚つゞき、また、伏姫ニきく五郎、金碗大輔ニえび蔵、(略)右にしき画抔、うり出し候処、きく五郎一人ニて、よき役のミいたし候ハんといふにより、えび蔵役不足ニて、あらそひ出来、依之、『八犬伝』ハやめ候」(『馬琴書簡集成』4より)とあり、国貞が描いたとする錦絵の伏姫・菊五郎、大輔・海老蔵が本図の役割と相応する。依って本図は天保7年2月に上演する予定だった八犬伝ものの場面を予定稿として描いたものだといえよう。参考図:002-0916〜0918には本図と同様予定稿で芳流閣の場面を描いた作品がある。

画像をダウンロード

同じ絵柄のもの 版画を比較する...