歌川国貞による浮世絵「「玉屋の与次 沢村源之助」」

Utagawa Kunisada, 歌川国貞 (国貞〈1〉)による浮世絵「「玉屋の与次 沢村源之助」」

作者:歌川国貞

作品名:「玉屋の与次 沢村源之助」

制作年:1830

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情報源:演劇博物館デジタル
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説明:

「当狂言無人にて古今まれなる大当り さればこそ三月十一日より其月をこへ 四月十三日まで興行ゐたされました」とあり(評判記・天保二年正月刊『役者大福帳』)。享保二十年に浄瑠璃で初演をみた『苅萱桑門筑紫☆』が初めて江戸で上演された時の作品である。戯曲全集26巻に本文が載っており、そこから本図に描かれたのは、五幕目の「玉弥与次住家の場」で、宗十郎の与次と紫若のおらちが囲炉裏の火を焚く場面であることがわかる。本文では、その後市十郎演じる女之助が登場し、与次との切り結びからおらちが屏風で仲裁をする場面へと展開し、絵本の挿絵は四段目におらちが二人の抜き身を屏風で押さえる様子が描かれている。よって、本図の場立は四段目と考証した。この興行は天保三年八月市村座、嘉永元年七月河原崎座で再演されている。嘉永元年興行の時の同場面の作品に参考図100-8166、100-8168があり、囲炉裏の場面から屏風の仲裁の場面への展開がより明確に描かれている。「増補筑紫☆」としての再演時にはいずれも、五代目宗十郎が苅萱道心、玉屋与次の二役を演じている。その反面「苅萱桑門筑紫☆」の外題で、嘉永五年(玉取りの場面のみ)、安政三年(苅萱:菊五郎)、文久元年(苅萱:彦三郎)に上演がみられるが、「増補筑紫☆」にある玉屋与次の場面は上演されておらず、内容は丸本に近い。嘉永六年に五代目宗十郎(助高屋高助)が没してから、安政六年六月森田座「増補筑紫☆」で嵐雛助が苅萱を演じているが、玉屋与次の場面はなく、この上演も丸本の筋であったようである。天保元年初演「増補筑紫☆」の内容は五代目宗十郎が当てたことをきっかけに、沢村独自のお家芸となったのであろう。その後、明治二年五月「時代世話操見台」で二代目沢村訥升が苅萱を演じた時に、女之助左団次、おらち其答、与次仲蔵で三人が活躍する場面が絵本から確認できるが、管見の限りでは、その後の上演には見られない場面である。 役番「禿の宿玉屋与次」。

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